離宮八幡宮の南には淀川が流れ、嵯峨天皇の河陽宮のあった頃には山崎橋がかかり河岸に相応寺、橋の上流には山崎津(港)がありました

かしき石はその相応寺の塔の心礎であるといわれています

舎利器を納める為の二重の穴が刻まれていたものを後に小鉢として利用する為扇形に彫り広げられたものだと考えられています

ただ、舎利器を納める為の二重の穴を持つ礎石は奈良時代以前のもので相応寺創建の時代と合わない為、古くから山崎にあった寺院の礎石が再利用されたとも推測できます

かしき石(相応寺礎石)
 (大山崎町指定文化財)