嵯峨天皇の離宮である「河陽宮」跡地に創建された神社であるので現在「離宮八幡宮」と号しています
「河陽宮」の名前の由来は、淀の大河の北、即ち陽に当たる処にあったことから「河陽」の宮と称せられました
山崎の津(港)は古来より淀川流域における一要津として重んぜられていました
奈良朝より平安朝にかけて天皇が遊猟する風習が盛んになり、天皇はその遊猟地である交野、栗前、水生野、大原野、葛野、山階野等に行幸される度にその要路である山崎の駅に泊られました
弘仁4年、嵯峨天皇が交野に行幸された際、山崎駅を行宮に定められ、後に山崎行宮が「河陽宮」と称せられるようになりました