手水鉢


社殿左側にあり、花崗岩で作られています

江戸時代始めの寛永11年、当社御造替の際に勝竜寺城主 永井日向守大江直清が幕府の命令で造栄奉行として奉仕し、その記念として奉献したものです

元治元年の兵火で焼けたため大きな騰裂があって現在は使われていません

表面には「寛永十一年十二月 永井日向守大江直清」の署名が残っています

当代の蹟学者 林羅山がこれを漢詩に詠み「一掬洗心(一掬いの水は心を清める)」などと霊徳を称えています